ミナ Minah
インドネシアのスラウェシに生まれる、1942年15歳に2年間動員
一日に四、五人が、
毎日のようにやってきました。
その間に二回妊娠しましたが、
二回とも流産に終わりました。
二人の友だちとコーヒー農場に行く道でした。日本軍がやってきて、農業をするのだといって私たちを無理やり車に乗せました。その車にはすでに何人かの女性が乗っていました。遠く離れた場所に私たちを連行し、体を洗い、服を着替えさせ、一人ずつ部屋に入れました。
五人の軍人が順番に入ってきて私を強姦しました。一日に四、五人が、毎日のようにやってきました。その間に二回妊娠しましたが、二回とも流産に終わりました。日本人の医師が男女一人ずついて、診察を受け、薬を飲みましたが、まったく効かずただ痛いだけでした。
ある日、五人の軍人に強姦されたあと性器が腫れました。とても痛かったのですが、別の軍人が部屋に入ってきて性行為をしようとしました。あまりにも痛くて声を上げると、軍人は腹を立てて私をめちゃくちゃに叩きました。目から血が流れました。
その時やっと、軍人に「家に帰れ」と言われました。八日間山道を歩いて家に帰りました。この時から左目は少ししか見えません。右目は全く見えません。今も病院に通っています。
その他にも息が苦しく、あの時のことを思い出すと頭が痛くなります。日本軍は私にあんなことをしたのです。必ず日本政府から「申し訳ない」という言葉を聞きたいと思います。
* おばあさんはスラウェシ島で被害者支援を行っているDarmawiさんの親戚だ。おばあさんは2015年まで一人で暮らしていたものの、徐々に視力が落ちて生活が困難になったので、今はDarmawiさんの姉の家で暮らしている。