私は慰安婦ではない

アジアの日本軍性奴隷被害女性たちの物語

 

 

 

私は慰安婦ではない

アジアの日本軍性奴隷

被害女性たちの物語

正義と平和、

被害女性たちの声に耳を傾けます。

2001年には戦争が終わっても中国の痩せ地に捨てられるしかなかった朝鮮人被害女性たちに会い、心の深いところで彼女たちの苦痛を受け取った。そしてアジアの国々の被害者たちにも会うことができた。

中国内陸部の奥地からインドネシア、そして東ティモール辺境の奥地へと、飛行機や電車で、そして徒歩で訪ね歩き、生きた歴史の真実を垣間見ることができた。80〜90代と高齢になった彼女たちの胸の中に.....

日本軍によって強奪された人間としての人生はもう元に戻すことのできない現実となってしまった。二重通訳を通してもひとつ残らず現れる彼女たちの恨のこびりついた心と荒い息の音が......

彼女たちは病み、一人では何もできない体のまま歴史の裏道へと消えていく。これ以上、誰かの記憶と涙ではなく、これからはすべての人の記憶に歴史と人権の問題として残らなくてはならない。

被害女性が望んでいるのは何よりも、誰かの関心です。「希望のメッセージ」はがきは、生存されている被害者を訪問する際、現地の言葉に訳して読み上げられ、伝えられます。

 

2001年には戦争が終わっても中国の痩せ地に捨てられるしかなかった朝鮮人被害女性たちに会い、心の深いところで彼女たちの苦痛を受け取った。そしてアジアの国々の被害者たちにも会うことができた。

中国内陸部の奥地からインドネシア、そして東ティモール辺境の奥地へと、飛行機や電車で、そして徒歩で訪ね歩き、生きた歴史の真実を垣間見ることができた。80〜90代と高齢になった彼女たちの胸の中に.....

日本軍によって強奪された人間としての人生はもう元に戻すことのできない現実となってしまった。二重通訳を通してもひとつ残らず現れる彼女たちの恨のこびりついた心と荒い息の音が......

彼女たちは病み、一人では何もできない体のまま歴史の裏道へと消えていく。これ以上、誰かの記憶と涙ではなく、これからはすべての人の記憶に歴史と人権の問題として残らなくてはならない。

被害女性が望んでいるのは何よりも、誰かの関心です。「希望のメッセージ」はがきは、生存されている被害者を訪問する際、現地の言葉に訳して読み上げられ、伝えられます。

 

異国の被害女性たちは

どんな人生を生きているのだろうか。

第二次世界大戦下、日本が戦争を起こしたアジア太平洋沿岸地域のどの国においても数多くの女性たちが日本軍によって性暴力を受けた。

1996年から韓国、中国、フィリピン、インドネシア、そして東ティモールで約140人の生存者に出会った。

日本軍が設置した慰安所

日本軍は強かん防止、性病予防、治安維持、兵士の士気高揚などの理由で慰安所を設置しました。

すべての侵略先だけでなく、日本国内の炭鉱や工場など、戦争物資を生産するための労働力が集まる場所にも設置されました。

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日本軍が設置した慰安所

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日本軍は強かん防止、性病予防、治安維持、兵士の士気高揚などの理由で慰安所を設置しました。

すべての侵略先だけでなく、日本国内の炭鉱や工場など、戦争物資を生産するための労働力が集まる場所にも設置されました。

重重プロジェクトは

写真展·教育·歴史記録·被害者の支援をいます。

写真展

文化芸術としての写真展を通じて、日本軍性奴隷被害女性の声を韓国や日本など国際社会に伝え、胸の奥深くに何重にも折り重なった恨(ハン)を共に分かち合うための.....

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教育

市民や学生との講演会を通じて、現地の多くの女性たちが共有してくれた過去のエピソードや現在の生を伝えます。そして、討論を通じて私たちに何ができるのかを模索します。
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歴史記録

日韓の歴史問題だけではない、アジア全体の問題として、日本政府によって歪曲され隠ぺいされる真実を記録します。被害者の生の中から消えない苦痛と記憶を、......

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被害者の支援

写真展、講演会など、重重プロジェクトの活動結果として、被害者と市民の間にコミュニケーションの輪を築きます。生活が困難な被害女性の心理的・経済的苦痛を少しでも......
 
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重重プロジェクトは皆さんと共に作り上げていくプロジェクトです。