イタン ITang
イタン ITang
インドネシアのスラウェシに生まれる、1945年15歳(推定)の3ヶ月間動員
インドネシア人や、
ほかの場所から来た女性が
全部で四十人ほどいました。
一部屋に一人ずつ入っていました。
買い物をしに行った市場に突然日本軍が現れて、マリンポンに連行されました。そこに多くの女性が連行されてきました。
巨大なバラック(竹で造った家。慰安所を指すこともある)には、インドネシア人や、ほかの場所から来た女性が全部で四十人ほどいました。一部屋に一人ずつ入っていました。
一日に五人くらいの軍人としなければなりませんでした。コンドームはなく、病気の治療も受けられませんでした。日本軍が管理を行っており、長い刀を差した軍人も来ました。三カ月後、日本軍が去って解放されました。そこから家までは三十キロほどありましたが、歩いて帰りました。両親に「どこにいたのか」と聞かれたので、
「日本軍に捕まって連行され、 怖い思いをした」と話しました。母は「あなたのせいではない。
無理やり連れて行かれたのだから仕方がない」と言いました。
同郷の夫と結婚しましたが、彼はこのことを知っています。軍人との行為のせいで体中が痛みます。
同郷の夫と結婚しましたが、彼はこのことを知っています。軍人との行為のせいで体中が痛みます。
* 2015年に自宅前の道路で事故に遭い歩くことができない。家の中では床を這って移動している。交通事故のあと手術をしたが完治しなかった。小用を足すときもチューブを使っている。何人かいる子どもの家を転々としながら暮らしているが、今の家には部屋がなく、キッチンの食器棚の裏にマットを敷き、天蓋のように布を張って作った空間で過ごしている。