東ティモール

1942 年 2月 20日、日本軍は中立だったポルトガル領東ティモールに侵攻し、オーストラリア軍を追い出して全土を占領しますが、やがて連合軍の巻き返しで制海権・制空権を失います。物資の補給を断たれた1 万2 千強の日本兵による駐留で、40 数万の住民は「格子なき監獄」の囚人となりました。食料や労働力だけでなく、慰安所や将校用の女性の調達も命じられたのです。
戦後は1975年からインドネシアに軍事占領されたため、日本軍時代の住民被害を訴える機会がなかっただけでなく、インドネシア軍兵士の強かんや慰安所設置によって東ティモールの女性たちは苦しめられました。日本軍の性暴力被害者の調査が始まったのは、国連暫定行政下の1999年、女性国際戦犯法廷に参加を決めた時からでした。この「法廷」で初めて被害女性二人が名乗り出ました。その後、現地と日本の支援団体は被害調査や公聴会、性暴力パネル展などを行いながら、被害女性の家を定期訪問して生活支援を続けています。

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イネス Ines de Jesus

日本軍が大勢上陸した際に、村長によって日本軍のもとへ送り込まれました。連行された場所には二軒の家があり、鶏や豚の檻がある隣の部屋に閉じ込められました。昼は木を切って道路を造る仕事をしました。 夜は軍人が大勢やってきました。少なくて...

フランシスカー Fransisca Marcedu

いつだったかは忘れてしまいましたが、日本の軍人が現れて「娘を差し出せ」と両親に言いました。私は「行きたくない」と言いましたが、彼らに無理やり連行されました。 朝から晩までかわるがわる軍人がやってきました。一人終わっても、すぐに次...

マルチナ Martina Madeira Hoar

両親は農業を営んでいました。家に一人でいるときに日本軍が来ました。私は怖くて逃げたのですが、その間に両親が帰宅し、日本軍に捕まってしまいました。日本軍は「娘を連れて行く」と言って両親を脅迫し、そのまま私を連行しました。 当時私は十...

ラウリンダ Laurinda Dapuhalek

私は自分の年齢をはっきり覚えていません。幼いころは両親と二人の姉と一緒に暮らしていました。ある日、道路を建設していた日本軍が私たちの村までやってきました。 銃撃戦になり、綺麗な女性は皆捕まりました。そのときの年齢は十二歳くらいだっ...

カルミンダ Carminda Dou

腰が曲がって小柄に見える被害者の年齢は九十を超えているだろうか。 かなり前からアルツハイマーが進行しており、当時の記憶についてはおろか、日常会話すら続けることができない。 幸いにも一緒に暮らす妹のMartinaさんから、少しでは...

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