ロンランオ 任兰娥

ロンランオ 任兰娥

ロンランオ 任兰娥

中国の山西省に生まれる、1944年13歳(推定)に15日間、2ヶ月の間に動員

私は、このことは日本だけの問題ではないと思います。

中国政府も問題なのです。

私が経験したことは決して良いことではありません。

恥ずかしくて話したくもありません。

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父と従兄が八路軍に所属していたのですが、売国奴の密告で日本軍が家に上がりこんできて、従兄の頭に火をつけました。母と私は彼らにひざまずき、「虐待しないでくれ」と懇願しました。

軍人は私を部屋に引きずっていって強姦し、その後南沟村に連行しました。

そこには二人の女性がいました。

一人の女性は反抗して刀で刺されて死に、もう一人の女性はそのショックで精神を病みました。一人残された私は、毎日十人を超える軍人に強姦されました。.

家族が売国奴にお金と食料を渡してやっと解放されました。二度目に連行されたときは十人の女性がいました。そのときは八路軍が日本軍の拠点を攻撃する隙を見て、混乱に乗じて逃げました。解放されたあとは、村に日本軍が来る度に屋根裏部屋などに隠れて過ごしました。

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私は、このことは日本だけの問題ではないと思います。中国政府も問題なのです。私が経験したことは決して良いことではありません。恥ずかしくて話したくもありません。

前に服とプレゼントを持ってきてもらったことが何度かあったのですが、近所の人たちに理由を聞かれて嘘を話しました。

* 2013年に一度「死んだ」ことがあり、死装束を着た一時間後に目を開けたという。しばらくの間言葉を忘れて何も話すことができなかったそうだ。一度死んだのでもう死ぬことはないと思っている。

リランハイ 李兰孩

リランハイ 李兰孩

リランハイ 李兰孩

中国の山西省に生まれる、1945年15歳で、10日間の動員

肉や食料、金銭を渡して解放されましたが、

私の家庭の状況ではそれを

期待することはできませんでした。

それから数日経ってやっと、

父が地域の有志の会長に.....

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父の手で育ちました。ある日日本軍がやってきて、何人かの女性を捕らえていきました。その中から十五、六歳の女性だけが選ばれ、私と三人の女性が残りました。私たちは日本軍にやられたくなかったので、庭で逃げ道を探し回りました。

軍人はそんな私たちをあちこちに捕まえていって強姦しました。捕まったあとは水や食べ物をろくに与えられませんでした。

両親がそろっている家の女性は日本軍に肉や食料、金銭を渡して解放されましたが、私の家庭の状況ではそれを期待することはできませんでした。

それから数日経ってやっと、父が地域の有志の会長にわずかばかりの物資と金銭を渡して解放されました。

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家に帰ったあとも病院にかかるお金がなくずっとベッドに横たわっていたのですが、村の人々がお金を集めてくれて病院に行くことができました。606号という薬(元は注射剤)を飲むと半年ぶりに体調が良くなりました。

八路軍だった夫の片腕は日本軍の爆弾で吹き飛びました。その夫は胃がんで早くに亡くなり、紡織工場で働きながら暮らしました。

* 都市に息子が住んでいるが、おばあさんは田舎が気楽だといって一人で暮らしており、時々息子が買ってくれる饅頭で食いつないでいる。部屋には毛沢東の大きな写真があり、戦時中日本軍を打ち負かした人物として認識している。