マルチナ Martina Madeira Hoar

マルチナ

Martina Madeira Hoar

東ティモールカサバウアークに生まれる、1942年12歳で3年間動員

当時私は十二歳くらいだったのですが、

連行された場所には幼い少女が大勢いました。

私は軍人の「ワイフ」でした。

毎日何人もの軍人が来ました。

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両親は農業を営んでいました。家に一人でいるときに日本軍が来ました。私は怖くて逃げたのですが、その間に両親が帰宅し、日本軍に捕まってしまいました。日本軍は「娘を連れて行く」と言って両親を脅迫し、そのまま私を連行しました。

当時私は十二歳くらいだったのですが、連行された場所には幼い少女が大勢いました。私は軍人の「ワイフ」でした。毎日何人もの軍人が来ました。

殴られはしませんでした。そうして一年が過ぎたころ、「家に帰れ」と言われました。

家に帰ってからも時々軍人がやってきて、「娘を差し出せ」と言いました。父と母が拒否すると、軍人は二人をめちゃくちゃに殴り、私を連行しました。両親が殴られるので行くしかありませんでした。

医師はいませんでした。体調を崩しても治療は受けられず、薬ももらえませんでした。食事が与えられるだけでした。二年後、戦争が終わって解放されました。

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姉も日本軍に連行されたそうです。いつ連行されたのかはわかりませんが、あとになってそのことを聞きました。父親が違うので別々の場所に住んでいたのですが、一緒に暮らすようになって姉からそのことを聞きました。結婚しましたが子どもはいません。

当時のことを考えただけで頭が痛くなります。腰痛があり、咳もよくでます。古い家を直したいと思っています。

 

* 1975年に姉と会い、親戚の家で一緒に暮らすようになった。おばあさんは家族の前で過去のことを話したがらない。おばあさんは日本軍にされたことを「ワイフ」というあやふやな言葉で表現した。見ず知らずの外国人に自分の痛みを明かすのはそれほど辛いことなのだろう。