ペデンシア Fedencia Nacar David
ペデンシア
Fedencia Nacar David
フィリピンのルソンに生まれる、1942年14歳(推定)に10日、一ヶ月間二度動員
その後も三人から五人の軍人が日常的に
家へ来て私を強姦し、
食料を奪っていきました。
父は身を隠していて、
家には私一人しかいなかったので、
絶望的な状況でした。
祖母と一緒に村の市場へ行ったときのことでした。二人の軍人に殴られて倒れ、後ろ手に縛られました。彼らは抵抗する私の耳を刃物で切り落としました。
私は捕まって官庁の部屋に連行されました。そこへ軍人が入ってきて私を抱こうとしました。軍人は泣きわめく私の口をふさいで強姦しました。そのあとも軍人たちに犯されました。他にも十人ほどの女性がいました。
昼は仕事をしました。夜は軍人がひっきりなしにやってきました。十日ほど経って、軍人に「家に行け」と言われました。私たちのことをゲリラのスパイだと思って、尾行のためにわざと解放したのでした。翌日家に到着すると、
日本軍は見境なく銃を撃って祖母を殺しました。その最中で私は二人の軍人に強姦されました。気を失い、しばらくしてから起き上がって家に帰りました
その後も三人から五人の軍人が日常的に家へ来て私を強姦し、食料を奪っていきました。父は身を隠していて、家には私一人しかいなかったので、絶望的な状況でした。
一か月経ってやっと日本軍が来なくなりました。トラウマで記憶喪失になったこともあり、その時は口をきけなくなりました。
* おばあさんは家計の足しにするため、ミシンで布の切れ端を片手で握りやすい大きさにして縫い合わせた雑巾を作って売っている。一つ1ペソ(3円)にしかならないが、何もしないよりましだといって暇つぶしの仕事を探している。